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昭和の日に平成を振り返り、令和を思う

 すいません、ちょっと大仰なタイトルになってしまいました。今日は昭和の日、昭和の頃の天皇誕生日です。そして、現在の平成も明日で終わり、明後日から令和になります。そういうわけで、このタイトルです。ちなみに、昭和の日は法律で、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日として定められています。

 さて、少し前に新聞のスポーツ欄で、イチロー選手をはじめとして何人もの野球選手がメジャーリーグで活躍したり、サッカー日本代表選手のほとんどがヨーロッパでプレーしていたりという現状は、平成のはじめ頃には想像もつかなかっただろうという趣旨の記事を読んで、平成の30年間の変化を私も少し振り返ろうと思いました(やや長文です)。

 先ほど新聞記事を読んだと書きましたが、私は党派色や思想的な偏りが少ないことから、日経新聞を購読しています。同誌は経済新聞ですので、株価や経済成長率などの経済面からみれば、平成の30年間は停滞気味だったと振り返っています。当然、いわゆるデフレ経済も問題視していますが、消費者の立場からすると物の値段が下がる、あるいは少なくとも上がらないのは大歓迎です。

 例えば、家族でお寿司と言えば今どきは回転寿司店に行く人が多いと思いますが、昭和の頃の寿司屋は高級外食の筆頭で、なかなか頻繁に行けるところではありませんでした。また100円均一ショップ、いわゆる百均も平成になって登場したように思いますが、何でも安く買えて助かります。デフレ歓迎とまでは言いませんが、少なくともインフレはごめんです。

 平成の30年間で交通網も便利に、快適になったと思います。当院の最寄り駅は地下鉄の南森町とJR東西線の大阪天満宮ですが、JR東西線が開通してから当院周辺の賑わいが増したように思います。そもそもJRは、駅員が不愛想で駅舎もぼろかった国鉄が、昭和の終わり頃に民営化されて他の私鉄なみにサービスがよく便利にもなり、快適に利用できるようになりました(しょっちゅう遅れるのが玉に瑕ですが)。

 朝夕のラッシュアワーの込み具合も、昔は「押し屋」という学生アルバイトに押し込まれないと乗れないぐらいぎゅうぎゅう詰めだったのが、人口減のせいか最近はずいぶんましになりました。なお、私はあまり利用しませんが、高速道路も路線がたくさん増えたり、さらに本州と四国を繋ぐ橋ができたりと、いろんなところに車で行くのに時間が短縮され便利になったと聞きます。

 そして、交通網以上に驚くべき進歩を遂げたのが通信手段だと思います。昭和や平成のはじめ頃までは、「お父さんが出たらどうしよう⁉」と思いながら恐る恐るガールフレンドの家に電話したり、駅で待ちぼうけを食らって掲示板に伝言を残したりしていましたが、メッセージを表示できるポケベルが登場し、さらにPHS、携帯電話、そして今はスマホとびっくりする進歩です。

 今どきは子供でもスマホを持っているそうですが、家族や友人と連絡を取り合う場合、直接通話するよりもSNSや電子メールで連絡を取り合うことのほうが多いのではないでしょうか。ただ、通信が便利になって人と人との距離が近くなったようで、実はかえって遠くなったような気がするのは私だけでしょうか。

 最後に私の専門分野であるリウマチ治療においても、平成のとくに後半に非常に大きな進歩を遂げました。やはりなんといっても、生物学的製剤の登場は画期的でした。不治の病と恐れられていた関節リウマチですが、病状の進行を抑える、あるいは遅らせることができるようになり、患者様のQOLがずいぶん向上したように思います。

 ただネックは、薬剤費がまだまだ高額なことです。ぜひ使った方がいいと思う患者様でも、経済的な理由でしり込みされる方が少なからずいらっしゃいます。バイオシミラーが登場したとはいえ、ジェネリック医薬品ほどに割安とは言えず、現時点では供給面でも若干の不安があります。きたる令和の時代には製薬会社の企業努力をぜひ期待したいものです。

 こうして振り返ってみると平成の30年間でもいろいろな変化や進歩がありましたね。日経新聞の言うように経済面では停滞気味だったのかもしれませんが、平成は平成で立派な一時代だったのではないでしょうか。きたる令和も、昭和のような「激動」は要らないので、平和で安定した社会を維持しながら、よい方向に変化や進歩を遂げ、便利さや豊かさだけでなく幸福を実感できる時代になってほしいと思います。

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