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どこまでが「天満」?

 3月も半ばを過ぎました。新型コロナウィルス問題はいまだ収束の目途が立たず、発生源の中国からヨーロッパに飛び火して、とくにイタリアで猛威をふるっています。ヨーロッパ各国は国境封鎖や外出禁止等、人の移動や交流を制限して感染の封じ込めに躍起になっていますが、非常事態なので仕方のないこととは言え、せっかくEUとして統合したのに、まるで戦争でいがみ合っていた前世紀の前半までのようです。日本の状況はヨーロッパほど深刻でないにせよ、学校の休校やイベントの自粛など、市民生活が大きく制限されています。

 さて、昨日の日経新聞夕刊の地方欄に、当院のある大阪、「天満」の地名についての記事が掲載されていました。当院周辺には、「天満」や「天神」をふくむ地名が多く、エリア的にも広範囲にわたっています。大阪天満宮に由来するのはもちろんですが、記事によれば江戸時代に「天満組」という町方組織が、(おそらく)市中心部の「北組」、「南組」とともに設置され、これら3つを合わせて「大坂三郷」と呼ばれていたそうです。さらに興味深いことに、当時の「大坂」は大阪城を中心としたエリアで、現在の大川を挟んだ天満エリアは「大坂」にふくまれていなかったそうです。

 現在の「天満」エリアは、江戸時代の町方組織が管轄した領域にほぼ一致するようで、例えばJR天満駅と京阪天満橋駅はずいぶん距離がありますが、どちらも「天満」を称して間違いではないとのこと。詳細はぜひ下記リンクから実際の記事をお読みいただくとして、新型コロナウィルス騒ぎですっかり人気の少なくなった「天満」界隈に、たまには足を運んでいただければと思います。

※リンク:2020/3/17付 日経電子版 関西タイムライン とことん調査隊

「大阪に地名『天満』あちこちに…なぜ?」

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